HAVE FUNN!−カール・ロンキとPAJ<前編>

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アクティビティの神様と言われ、たくさんの楽しいアクティビティを生み出してきたカール・ロンキが2020年9月20日に83歳で亡くなりました。

いまでも愛されている数々のアクティビティを生み出したカールのことをご紹介します。

何もないところから生まれる

森の中に立ち、ゆっくりと小さなボールを皆の前に出して、静かなインストラクションが始まる。オーバーなアクションもジョークを言うのでもないのに、自然にみんながアクティビティの世界に吸い込まれて行く。いつの間にかみんな笑顔で、そして思い切り身体を動かしている。そしてカールが一番楽しんでいるのかもしれないという嬉しそうな笑顔。

「アクティビティの神様」なんて言われたりしているからさぞかし陽気な人だと想像する方もいるかもしれません。もちろん楽しいことが大好きで、よく笑い、変な格好をしている写真もたくさん残っているカールですが、私の印象は静かなトーンでいるカールです。何気なくドアをあけて入ってきて普通にしているのに、なぜか皆が夢中になって活動してしまう楽しさがあります。

長年カールと共にワークショップをしてきたジム・グラウトは、インタビューの中でこう言っています。

「彼はいつも自分が好きなことをやっているだけで、それをみんなも好きなんだと言っていました。彼は自分中心的なところが子どものようですが、そうではないんです。彼は自分が幸せだと感じることをしていて、それが周りも幸せにしていたんです。」

自分が好きなことをして、周りの人もそれが好きで夢中になってしまう。まさにアクティビティの神様!

1995年日本初アドベンチャープログラミングワークショップ開催

カールは1995年PAJ設立時にシンポジウムと日本初の「アドベンチャープログラミング(AP)」ワークショップのために来日してくれました。

1995年6月、「プロジェクトアドベンチャー」について知っている人が殆どいない中で、5日間のワークショップが始まりました。

いま思い出せるのは、デタラメに楽しかった5日間。静かな佇まいなのに、あっという間にみんなの心身を鷲掴みにして、PAの楽しさ、面白さへと誘ってしまう、カールにはそんなちからがあったのです。

いまも25年前のAPのことを印象深く覚えている参加者のみなさんに、当時のことをきいてみました。

今回話をきいた人の殆どがまず最初に、カールがハーネスを使わず、ロープにもやい結びをするだけで「パンパーポール」を飛んだことをあげています。参加者はハーネスをしているのに、「昔はもやい結びだけでやっていた」と実演してくれたのです。今はもちろんNGですし、当時のアメリカでもNGだったと思うのですが、それをやるのがカールだったのです。

『「ヒッコリージャンプ(エレメント名)で、チャレンジをFUNと捉え、ワクワクドキドキすることに重きを置いているということを、子どものような笑顔で伝えてくれたことが印象的です』(みっけ)

『「僕が子どもの頃にやっていた遊びが、このエレメントになっている」と話してくれました。「FUNが大事」という言葉を覚えています。当時60才位でしたが、遊び心を忘れない、茶目っ気たっぷりのおじいさんでした』(ロバ)

『GIANT!背も心もファシリテーションもデッカイ人!ユーモアに溢れ、そしてとても温かい人でした。言語を超えた次元で「人の大きさ」を私たちに示してくれました。英語はわからなかったけど、肌で感じたなぁ…』(boh2)

『いつもそれぞれ違う色の靴下を裏返しに履いていた!デッカイいたずらっ子だなぁ〜と思いました。靴下はあとで聞いたら、日本人がどんな反応するのか興味があったとのことでした(笑)』(大吾)

『目がイーグル(鷲)のように鋭いのに、目の奥はニヤリと笑っていて、チャーミング!「釣り竿で猫を釣るアクティビティをやってみたけど失敗だった」という話が印象的でした。PAにはたくさんのアクティビティがあるけれど、それ以上にたくさんのボツがあったと聞きました。一見くだらないと思うことを大人が真剣に試してみる。そこから面白いアクティビティが生まれるんだなと思いました。これこそ、FUNNの原点ですね』(すずめ)

10周年記念シンポジウム

2005年PAJの10周年記念シンポジウムには、当時の代表ディック・プラウティ、ジム・ショーエル、タム・ユウ・チュンと共に来日してお祝いをしてくれました。

体育館で大勢で走ったり跳ねたり、そして大きなヒューマンチェアをしたりで、大騒ぎのアクティビティタイムもありました。

(後編に続く)

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writer: 寺中有希