インタビューvol. 107 「人が育つ場で生きる」

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PA, Inc. (プロジェクトアドベンチャーアメリカ本部)で34年間働いていたディック・プラウティ(Dick Prouty)。1995年のPAJ設立やワークショップのために度々来日してくれました。


PAとの出会い:1970年代

1971年の夏にPAのプロジェクトが始まる前、私はアウトワード・バウンドの26日間の教師向けプログラムに参加していました。そのときのインストラクターのひとりがジム・ショーエル(PA創始者のひとり)でした。

ジムは私の担当ではなかったのでプログラム中に話すことはありませんでしたが、プログラム終了後、マンチェスター(街の名前)でばったり会ったのです。彼はハミルトンで新しい仕事が決まり、これからボブ・レンツ(PA, Inc.の創立時のディレクター)に会いにいくところでした。

PAがハミルトン-ウェンハム高校で誕生しました。、その頃、ハミルトン-ウェンハム高校では体育や教科教育の分野でPAを使っていましたが、まだカウンセリングは取り入れられておらず、ABCモデルもありませんでした。

その同時期に、私は自分が勤めていた別の高校で、ポール・ラドクリフやジム・ショーエルらと、生徒向けにカウンセリングプログラムをつくっていました。私の高校の生徒は、問題を起こしたり、大声で騒いだり、感情をあらわにする難しい生徒が多かったので、カウンセリングプログラムが必要だったのです。

新しい扉を開ける:1980年代

10年経ち、私も新しいことをする準備ができたと感じました。私は高校で教えるのも好きでしたが、もっと自分にとってのアドベンチャーを探していました。

その時、いま勤めている高校を休職をしてPAで働くことを、ボブ・レンツ(PAディレクター)が勧めて来たのです。私は全く知らなかったのですが、彼はミシガンの新しい学校の校長として職を得て、PAを去ろうとしていたのです。私が1980年6月からPAで働き始め、1ヶ月後にボブはPAを去りました。

当時PAには5人しかスタッフがいませんでした。カール・ロンキ、スティーブ・ウェブスター、アラン・セントウルスキー、ジム・ショーエルと私です。

みんなで誰がディレクターをやりたいか、やるべきかという話をして、カールがやることになりました。しかし彼はデスクワークが嫌いで、事務的な作業が嫌いだったので、カールがプレジデントで、私がディレクターをやり、カールのフォローすることになりました。その後、1980年代中盤、カールがPA, Inc.を去り、私が代表になりました。

大きく広がっていったPA: 1980−1990年代

当時、PAには大きな出来事が2つありました。

ひとつは、3〜4つの団体がアウトワードバウンドの手法を学校に取り入れようとしている中で、PAが連邦政府から高く評価され、助成金獲得につながったことです。その評価の中で、PAを受けた人たちの自尊感情が大きく高まったという結果が出ました。調査では特に女性の数値が高くなりました。このため、学校でPAをするためのお墨付きをもらえたのです。

また連邦政府がレーガン大統領のもとで、基礎教育へと回帰していったことです。助成金を頼りにしていたのに、非営利団体として自力で事業をしていかなくてはならなくなり、私たちはワークショップを始めました。ワークショップは評判もよく、これらのプログラムへの渇望がありました。1982年から1992年まで、PA, Inc.は、毎年20%成長しました。

PA関連の本もたくさん売れ、特にカールが書いた「Cows tails and cobrasⅡ」がベストセラーになりました。カールはどんどん新しいゲームやエレメントを生み出しました。世界中の先生たちがいろいろなアイデアをカールに送ってきました。彼は新しい情報を集めるのがとても上手でした。

1980年代〜1990年代、たくさんの人がPAのワークショップを受けて自分の学校に戻っていきました。学校でPAを取り入れるために、資金を調達して小さなロープスコースをつくったり、学校でPAをするためのカリキュラムや導入の仕組みづくりをしていました。そういう動きがたくさんありました。

PAの魅力

1983年、カールが担当していた3日間の体育のワークショップに来たある先生のことを今でもよく覚えています。

私が受付に立っていると、「ここに来たくなかった。上司に無理やり参加させられている」と何度も言っていました。

その先生を最終日に見かけたら、彼は皆からの声援を受けて「トラストダイブ」をしていたのです。満面の笑顔でした。3日間でお互いの距離が近づき、楽しみ、チャレンジをし、あんなに嫌がっていた彼が大きな変化を見せたのです。

私はPAのプログラムの中で、お互いに理解し合い、リスクテイクし、学び、協同し、チームを育て、リーダーシップを取ったりしている場面が大好きです。PAは体験をしながら学びます。プログラムの中で、安全面でお互いを助け合う必要が生まれ、身体的に近くならざるを得なくなります。そこでお互いが親密になり、今までに体験したことがない体験をします。PAではそういうことがよく起きるのです。「こんな風に人と関わったことは、私の人生でいままでなかった」という人も多くいます。

とても情緒的なことが起き、唯一無二の体験となります。その中で成長し、自分の中に何かを発見します。今まで起きていなかったことが起きます。これがPA体験のパワフルな部分です。

PAでの34年間

ーーなぜそんなに長く働いていたのですか?

PAで働くことが楽しかったからです。新しいアイデアを出し合いながら、新しい方法で組織が成長していきました。

私は畑仕事が好きで、野菜を育てるのが得意です。私は種を蒔いて成長を見守るのが好きなのです。ハンターは獲物を狩ってまた次の場所に移りますが、私は畑を作るガーデナーです。

PA, Inc. にはクリエイティブな人がたくさんいて、イノベイティブな環境をつくっていました。そんな中で、私は「そろそろ次に行こう」という気持ちにはなりませんでした。

PAの思い出

PAで思い出深いことは、たくさんありすぎます。ひとつあげるとしたら、1991年20周年記念イベントのキーノートスピーカーが、

「あなたたちには、人々の人生にある大いなる問いを理解することを助ける能力がある」

と言ってくれました。自分が何者なのかを誰が教えてくれるのか。それは自身の目標を見つめること、人との関係性を見つめることで見えてきます。さまざまな所にある、人との関係性と目標を見つめることで、自分自身を知ることができるでしょう。私達にはそういうことを助けるちからがあるのです。

(20200716)

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