アドベンチャーエデュケーションのすずめ(杉村厚子)。プロジェクトアドベンチャージャパン(PAJ)最古参のひとりです。20年間、PAJを見てきたすずめが感じるPAJという組織とは。


PA(プロジェクトアドベンチャー)との出会い

1995年、前職(野外活動プログラムの団体)の施設の隣りに日本で初めてのPAのアドベンチャー教育施設(ロープスコース)ができることになり、建設中、コースができていくのを間近でみる機会が何度もありました。アメリカから来ていたビルダーたちと仲良くなって楽しかったです。

その後、PAJ設立記念シンポジウムのお手伝いをしたり、日本で初めて行われたPAのワークショップに参加しました。5日間のワークショップは衝撃的で、すごく幸せな時間だったんです。わくわくできて、自分の中からちからが湧いてきました。

こんな幸せな思いをした人はどれくらいいるのかな、こういう気持ちで満たされる人が増えてほしいと思いました。

その後、1998年12月にPAJに入社しました。平日は事務職、土日に開催するプログラムではファシリテーターとして働きました。

現在のようにファシリテーターのインターン制度はなく、どこまで何ができたらファシリテーターとしてOKなのかということがよく分からない中でプログラムをやっていました。

以前は事務職とファシリテーターを兼任していたので、会社の全部をやっている感じがして、頭がいっぱいでした。そこからスタッフが増えてきて、自分の役割が「全部」ではなく「部分」になることによって、だんだん専門に特化できるようになり、余白が生まれてプログラムのファシリテーターとして経験を積むことができました。現在は、日野春と高尾のコースマネジャーと、ファシリテーター養成のトレーニングなどを担当しています。

PAスピリットを体現していく

私は自分のファシリテーションが上手ではないと思っています。ずっと困ったなと思っているんです。ファシリテーションが上手な人はたくさんいます。でもその中で私が今までファシリテーターとしてどうにか生き延びてきたのは、PAをめちゃくちゃ信じていることだと思います。私はPAの哲学である「フルバリュー(お互いを最大限に尊重する)」を大切にしています。PAJの使命だから使っているということではなくて、私がフルバリューという考え方で生きたいのです。先日それを「にじみ出るPAスピリット」と言ってくれた人がいました。その言葉をきいたときは純粋に嬉しかったし、自分が信じていることが今の自分を救ってくれているんだなと思ったんです。

私は人が好きで、人と話したいんです。この人とうまくいかないなというときも、いつかうまくいくかもしれないと諦めないですね。そういう心持ちがあるから今までやって来られた気がします。

長く続けていくこと

この20数年間、PAのいろいろな変遷を見てきたり、自分自身の生活スタイルが変わったりしました。そんな中で、自分自身が苦しいときもあったけれど、PAJにいろいろな変化があり、そこにずっといられたのは貴重だし、面白いです。

PAJが組織体として大きな変化をする、刺激的な人がPAJに加わって変わっていくという瞬間に立ち会えるのはすごくラッキーなことだと思います。

PAJが日本の中で必要とされている間は、あり続けて欲しいです。いつかPAJが掲げている「フルバリュー」や「アドベンチャー」がみんなにとっての当たり前になって「当たり前すぎて仕事にならない」時代が来たら、発展的解散をすることはあるかもしれない。そういう日まで自分ができることがあるなら、しっかり役目を果たしていきたいです。

一緒につくっていく

誰かを支援しながら何かをつくっていくということが自分の中に染みていて、一緒に何かをつくることが好きです。ファシリテーター然としているのではなく、あるときはエネルギーを発する人です。一緒にやろう!と自分の興味を抑えないで出すこともあるし、みんなの熱が出てきたら、その人たちの熱に乗せてもらったりします。ファシリテーターだから黙っていなければと思わずに、グループや人と関わる、そんな人になりたいです。いずれシルバーヘアーのチャーミングなおばあちゃんのファシリテーターになりたい、そんな野望を持っています。

(20181129)