PAニュース20160120

PAJ20周年を記念して2015年秋にfacebookに投稿していたPAJヒストリー総集編です。

【PAJヒストリー#001初めてのAP講習会】

1995年PAJははじまりました。
これにあわせて、設立記念シンポジウムの開催と、初めてのロープスコース(モデルコース、山梨県北巨摩郡(現北杜市))のお披露目を行いました。

お披露目会の後、アメリカのアクティビティの神様、カール・ロンキによる日本初のAP(アドベンチャープログラミング)講習会(5日間)を開催しました。
シンポジウムが無事終わり、コースのお披露目も終わり、いざAPがはじまる!と出来たてほやほやのコースに参加者が集まってきました。
輪になってカールが話し始めようとして、カールも参加者もびっくり!通訳する人を手配していない!
いいわけですが、会社の設立と、設立記念シンポジウムの準備ががつながっていて、バタバタしたままの開催でした・・。

カールのシンプルな楽しさと、参加者の皆さまのお力を借りて、スタッフのたどたどしい通訳でなんとか5日間を過ごすことができました!

(ゆき)

 

【PAJヒストリー#002「アメリカ人トレーナー」】

いまではPAJトレーナーがAPを開催していますが、以前は、アメリカ人のトレーナーが来日し、通訳を介しながらの開催でした。(今でもABCなど一部の講習会はアメリカ人トレーナーが担当しているときもあります)
日本のことも、日本人の特性についても知らないトレーナーが、5日間グループを担当し、プログラムを提供するのは大変だろうといつも思います。もし私が行ったことのない国(たとえばアフリカや中東の国とか)で、プログラムをするとしたら、不慣れなコミュニケーションの中で自分のグループを見るちからをどれだけ活かしてプログラムができるだろうか、と思います。そんな中、ユーモアをもち、楽しくプログラムをやっているアメリカ人トレーナーを見ると、ただただ尊敬します。アドベンチャープログラムを指導するということ自体に楽しみを見出しているように見えます。

そんなトレーナーに必ずと言っていいほど、参加者がすすめるものは、「納豆」。
「納豆=日本の伝統」ということを説明したり、食べることをすすめる人がたくさんいるのです。においで食べない人、とりあえずトライしてみてもう食べない人、平気な人とさまざまですが、納豆をすすめている姿をみると、もっとお勧めしたい食べ物もあるのになぁと思ったりしていました。

(写真は納豆を食べるジム・ショーエルです。)  (ゆき)

 

 

【PAヒストリー#003「ユニバーサルデザインコース」】

インディアナ州立大学のドン・ロジャース先生に設計の協力をお願いして埼玉県秩父市に施工。プログラムのファシリテーションの講座も開いていただきました。
以前は車いすごとハイエレメントに持ち上げていたのですが、現在は体だけを上に上げるのが一般的だということも教えていただきました。(はやし)

(写真はドン先生です)

 

 

【PAJヒストリー#004「日本人トレーナー」】

以前はアメリカのトレーナーが来日して通訳を介しながらのAP講習会でしたが、2003年からは日本のトレーナーが担当することになりました。記念すべき初めての講習会は2003年10月に山形県源流の森で2グループ開催でした。その時のトレーナーはKatman、はるみちゃん、PAJにジョインして間もないAdamです。秋も深まった源流の森で29人の元気な声が響く5日間でした。
あれから12年、今では日本のトレーナーが参加者のみなさんの現場に合った形の情報や活動を織り交ぜながら年間4本のAP講習会を行っています。(すずめ)

(写真は、山形APの集合写真です。)

 

【PAJヒストリー#005「ジョージアコース」】

今はありませんが、アメリカ南部のジョージア州には、PAの支部がありました。
少年院と連携したプログラムを行っており、盗みやドラッグ、売春などさまざまな問題を起こした青少年が長期の宿泊型、通学型プログラムに参加していました。

長期プログラムの後半に見学させてもらったこともあると思いますが、見ているだけでは、そんな犯罪を冒したようには見えません。みんな楽しそうに課題に取り組んだりしていました。「日本からきたゲストに質問がある人?」とトレーナーが聞くと、ひとりの少年が元気よく手をあげ、「はい!日本では車はどちら側を走りますか?!」と聞いてくれました。アメリカとは反対だよと説明すると、「へぇ~!」と驚いてくれました。日本ってどんなイメージの国?と彼らに聞いてみたらよかったなと思います。

PAにはチャレンジバイチョイスがあります。
青少年更生プログラムでももちろん、フルバリューやチャレンジバイチョイスが尊重されますが、ときに、ハイエレメントなどで、「行け~!」と背中を押すような表現が多く出ていることがあり、「チャレンジバイチョイスはないのか?」と尋ねたところ、「このプログラムに参加すること自体を選んだことが、チャレンジバイチョイスなんだ」という答えでした。

(写真は旧ジョージアオフィスです。湖のほとりで素敵な場所でした)

(ゆき)

 

 

【PAJヒストリー#006「ビルダー」】

PAJが始まった頃、ロープスコース建設には、アメリカやオーストラリアからビルダーが日本に来て、日本人スタッフがそのお手伝いをしていました。
日本人だけでロープスコースが作れるようなるためにと、若き日本のビルダー候補生はアメリカにビルディング修行に出かけていました。言葉のうまく通じない中、まさに体で覚えたビルディングです。ビルディングの技術だけではなく、異文化の中でのサバイバルを学べたよい機会だった(?)ようです。

(写真は、PAアメリカの40周年の記念に集まったビルダー仲間。やんちゃな空気がPAビルダーズだな、という感じがします。)
(ゆき)

 

 

【PAJヒストリー#007「輪になって・・」】

輪になってくださ~い♪
PAプログラムでは円で集まったり、活動することが多くあります。アメリカ人トレーナーと一緒にワークショップをしていた時はの日本語を覚えようという気持ちと面白さということが相まって、輪になって集まることを「わにになってくださ~い。」と言いながらワニの真似をして集まっていました。(両手を前に出してワニの口をまねる動き)今でも時々、ワークショップで使うことがあります。ジェスチャーの面白さは時代を超えて万国共通なのか、日本人だけでも自然と笑みがこぼれたりしています。
あっ、もうこんなことしないですか?これを知っている人たちはかなり古い人です(笑)

(すずめ)

 

 

【PAJヒストリー#008「PAってすごい?」】

1995年にPAJができて間もなく、PAJにKAT(難波克己、現玉川大学心の教育実践センター)がやってきました。KATはすぐにアメリカに研修に行き、たくさんの情報を仕入れてきてくれました。理論的な部分の詳しい話、PAが実際にどのように使われているのか、ファシリテーションとは何か・・など、テキストや本では見えない部分がどんどん見えてくるようになりました。
そのとき、林が、「PAってなんかすごいものみたいですね」とつぶやいたのが忘れられません。PAの持つ魅力をなんとか日本に、とPAJを立ち上げた林が知らなかったことがたくさんあったのです。
林はよく、「PAは実践から生まれたんです。理論からではなく現場の経験から生まれたんです」と言います。
アクティビティを体験し、これに何かある、、と林が感じてはじまったのがPAJです。まず最初にアクティビティがありました。これは面白い、何かある!そしてPAJが始まり、これはアクティビティだけではない、もっと何かある!と探り続けてきた20年でした。
(ゆき)

(写真はKatmanです!)

 

【PAJヒストリー#009「PAグッズはおはやめに・・」】

PAJではアクティビティで使用するグッズをアメリカから輸入しています。
その日も注文を受けてPAJオフィスからグッズを箱に詰めて送りました。数日後オフィスに1本の電話が…。

数日前に注文したPAグッズがまだ届いていないとの連絡でした。オフィスでも確認をし、配送会社にも確認をしました。確かに届け終わっています。

電話で到着日を伝えると、電話の向こうで「あっ」と小さな声がしました。確かに数日前に荷物が送られていました。その箱の外装には「ゼリー」と書かれていたのでゼリーが届いたと思って冷蔵庫で保管をしていたとのこと。冷蔵庫に確認しに行くと、PAグッズは美味しく冷やされていたのでした。

PAJではグッズ発送専用の段ボールがなく、届いた荷物の箱を再利用しています。

その注文にちょうどよいのが「ゼリー」の箱だったのです。それ以来食べ物の箱で送るときはそれまで以上に大きくPAグッズと書くようになりました。
後にも先にも冷蔵庫で冷やされたPAグッズはこれしかないと思います。(笑)

(すずめ)