インタビューvol.8 本城慎之介さん「灯りひとつ持って」


2020年に開校を目指す幼小中”混在校”の軽井沢風越学園。その設立準備財団の理事長、本城慎之介さん。
みんなで一丸となって新しい学校を作るぞー!という感じの学校作りかと思いきや、そうではなさそうです。本城さんの新しい学校の作り方とは。

暗闇を歩く

「キャンプ、好きです。
でも、夜、明るいキャンプは嫌いです。
なるべく暗い方がいい。
ここ数年は、ろうそくランタンがお気に入り。
あまり明るくないし、音もしない。

夜道を歩くときも、すっごい明るい懐中電灯とかで30メールと先まで照らして歩いたら、すっごくつまらないと思う。
せっかく暗いんだから。
夜道は暗い方が楽しい。ちょっと足元が照らせるくらいの提灯で十分。

だから、先をあまり明るく照らさない。
自分の感覚を信じて進むのでいいのだ。

今、取り組んでいることも同じだ。
あまり明るくないほうがいいな、と、さっき思ったのだった。

もうちょっとだけ書いてみよう。

「はじめたい」と思ったら、とりあえずはじめてみる。
先が明るく照らされていなくても、たぶんこっちだろうと思って進んでみる。そうすると身体が慣れてくる。
そうして進んでいくのがおもしろい。

ということを今まで繰り返して来た。

なのに!<学校>は、すぐにははじめられなくて、いろいろ明るく照らして、他の人にもわかるようにして進まなくてはいけない。

もうちょっといろいろ事前に決めたりせずに、真っ暗な中を進みたいんだよなー」

ーー本城さんがフェイスブックで学校作りに関して、上のような投稿をしていましたが、暗がりの中を歩くというのは本城さんの中にずっとある考え方ですか?

本城:ちゃんと言語化されたのは今年の1月です。西村佳哲さんのワークショップに参加したときに冒頭で西村さんが「手に行灯(あんどん)みたいなものを持って歩いていく感じだから、2日間のプログラムがしっかり組まれているわけではない」というような話をしました。

その話を聞いたときに、そうそうと思ったんです。暗いときには当然灯りは必要だし、もしかしたら手元の灯りではなくてすごく遠くにしっかりとした灯りがあれば目印としても役立つし、そこに向かっていけます。
僕はそれがあると、「あのゴールまで行くためにはどのルートをたどればいいか、どういう風にすると一番速くたどり着くか」をぱっと考えて、戦略を立てたり、戦術を練ることができます。速く行けるし、たぶん効率的にやれるし、力強くも行ける。

けれども、それがすごく楽しいかというと、そうでもないのではという感じがします。むしろ真っ暗な森の中で遊んだりすると楽しくて、自分の体の中でいろいろなものを考えたりしながら、自然の物や近くの人とやりとりしながら進んで行きます。

そんなときには多分、遠くのまぶしい灯りはすごく邪魔になります。遠くに灯りがあるとむしろそこを目指そうとしてしまうので、最短の距離を行こうとして、足元にある倒木に足を引っ掛けるけてしまったり、光を目指すが故に近くにある水たまりに足を突っ込んでしまったりするかもしません。

せっかく暗いのであれば、必要最小限のぼんやりとした灯りだけが手元にあれば、足元を気にしながら「本当にこれで大丈夫かな」と確かめながら行くほうが確実です。
それは時間がかかったり効率が悪かったりするけれど、右に行ったり左に行ったり、後ろに行ったり、また新たなものと出会ったりするかもしれない。そういう余計な動きの方が面白かったり、得られるものが多いのではないかと思います。風越を作る中ではそういう感じで進んで行く方が合っているとすごく感じています。

ーー今、学校を作る中で明るいものが先に見えている感じではないのですか?

本城:最近は組織作りとかチーム作りに違和感を持っています。今はどんな学校か、どんな人の動きがよいかということも、正しい正解やはっきりしたものが全然見えていないんです。こんな学校もいいかもしれないし、あんな学校もいいかもしれない、そうするとこういう動きもいいかもしれないという感じがあります。

はっきりとした先があるわけではないですね。ただ一方で見えていた方が安心する人や、足元だけではなくてもっともっと先まで明るい方が安心する人、見えていないと最初の一歩が踏み出せない人というのも当然います。不安な人には何が必要なんだろう、強制的に暗闇を歩こうと言う方がよいのか、もう少しビジョンをはっきりさせた方がいいのか、それはどっちがよいのかなと考えますね。

ーーいろいろな媒体で風越のことが紹介されていると、向こうに強い光があるように思ってしまうのですがスタッフの皆さんの中でも、「あの光に向かって行くんだ!」と思っていた方もいるのではと思いますが・・。

本城:それはいると思いますね。例えば今、風越のホームページに上がっている「情景」(軽井沢風越学園の日常を想像した文章)も僕は今はちょっと違うかもなぁと思っていて、あれを一度取り下げようと考えています。

灯り的なものは見えているかもしれないけれども、それは実は火の玉みたいなもので、全然違うものだったり、動いていたり、消えてしまったりするようなものだと思います。
すごく強い照明ではっきりと向こうから照らされている感じではないんです。強く照らされていると思って見たら、まぶしくて目がくらんで、あたりが見えなくなってそれが本当に正しいのかどうかわからなくなってしまいます。だからあんまり強い光源ではない方がいい。

ーー暗い中で歩くのが好きなんですか?

本城:その感覚はずっと持っています。ただ逆にいうとすごくはっきりとしたゴール設定や光源に向かって走っていくのも好きだし、できるし、経験もあります。どっちもアリかなあと。ただ今回は暗い方がいいかなと思います。

最近のレゴブロックには見本や作り方がついていますが、僕にはあれの何が楽しいのかさっぱりわからない。
最初から作るものがわかって、且つ作る材料が全て揃っていて、その通り作っていく、それの何が楽しいの?と。僕は自分で組み合わせて自分の形を作り、作ったらすぐ壊してまた新しいのを作るのが楽しい。お手本がないというところでは学校を作るのもレゴみたいな感じかもしれません。作ってすぐ壊せるかというとそうでもない感じがしますが(笑)。

でも飾っておく感じではないですね。作った後も小さくしてみたり大きくしてみたり高くしてみたり、別の色を足してみたりすることができます。作ったものをきらびやかに見せたりする必要はないし、どんどん、どんどん変わっていくという感じは似ているし楽しいですね。

誰かが作ったものを作り直していくよりは自分で作っていった方が面白い。そこに関わってくる人が少しずつ増えていく感じも面白いです。完成させることを目的にしていなくて、完成しないもの、完成しきらないものを作って、未完成のまま「こんなのどうでしょう?」と世の中に出し続けていく感じでやっていくと思います。

不安や不快な部分があることはすごく大事だと思っています。それは「今どうなのかな」と、外にも内にもセンサーが働いている感じです。「安心だな」「今いい感じだな」と思っている状態は、隙があったり油断がある状態なんです。
それは動きが遅くなったり鈍感になっている感じがするから、いつもちょっとした不安や不快があるのがいいんです。そこには敏感でいたいし、それがいつも感じられる状態にいないと真っ暗な中は歩いていけないはずです。不安を感じなくなる方が怖いと思います。ちょっと調子が悪かったり、不安があって進む方がしっかり自分自身と対話して進める感じがします。

あとは僕にとってわがままでいられるというのがすごく大事です。わがままでいられない状態は僕自身にとってはとてもしんどいと思います。わがままでいられるためには環境も整えるし、努力もするし、力もつけます。今、学校づくりに真剣に取り組んでいて、そしてたっぷりわがままをやれています。

ーーわがままとはどういうことですか?

本城:どんどん、どんどんやりたいように、心や体が動くままにやれるということだと思います。しかもその自分のやりたいことや、やり方が、他の人のやり方の中でどんどん変わっていっています。それもいいね、そういうやり方もあるねと思うと、自分がどんどん更新されていきます。

それはすごく生きている感じもするし、わがままに生きているなあと思っています。わがままがどんどん加速していくような感じです。チームとしても僕自身としてもどんどん更新している感じがします。関わっているいろいろな人たちの思いもどんどん更新されていますね。

チーム作りではない「何か」

ーーどんどん輪が大きくなりますね。手伝いたいとか関わりたい人がたくさんいらっしゃると思いますが、それが大きくなりすぎたりはしないのですか?

本城:今のところはないです。風越では「同じより違う」「分けるより混ぜる」を大切にしたいと言っています。でも、世の中には「混ぜるな危険」「混ぜると危険」という言葉もあるじゃないですか。多くの方の関わりということに関していうと、「混ぜるな危険」「混ぜると危険」ということは、確かにあり得るなと思います。

それは何が危険なんだろうと最近考えています。「混ぜるな危険・混ぜると危険」は、「なぜ混ぜたら危険なのか」「混ぜたらどうなっちゃうのかな」「それは本当に危険なのかなあ」と…。それは不安なことなんです、僕の中では。「混ぜるとどうなるのかな」と今ちょっとその不安的なものが湧き上がってきています。

組織やチームに、ある人がポンと入ってきたことであっという間にグジャッとなったり、あるひとつの発言によってグジャッとなることがあります。
それは「混ざったもの」が問題だったと言われてしまうことがあるけれど、そういうことではなくて、混ざったものと元にあったものの相互反応だと思います。どっちもどっちのはずが、どうしても混ざったものを排除しようとします。
その混ざったものを排除しようという行動や文化そのものが危険なのであって、混ざってぼわんと出ているものや壊れていくものが危険なわけではないなと思います。洗剤と洗剤を混ぜて発生するガスが危険なのではなくて、もともと持っていた何かが危険なのかなと思います。

ーー混ぜたり、いろいろな人がいることを大事にしていても、チームとしての凝集性はどうやっても高くなってくるのではと思うのですが。

本城:そうですね。やっぱりチームではないと思うんです。いいチームなんか目指したら絶対いけないなという感じがしているので、チーム作りをしようとか、いいチームを作ろうと今は思わないようにしています。いいチーム・組織という言葉は危険だなと思います。

僕たちがいい学校を作ろうとか、いい学校、いいチームをつくろうと思ってがーっとエネルギーだけでやっていくと、実はその周辺にいるいろいろな組織だったり、チームだったり、人たちの集まりから離れていったりするような感じがあるかなと。
「自分たちのチーム」という考え方ではなくて、風越がもっと、いろいろな命の網目の中で生きている生命体として意識を持ったりすると、別のあり方になるのではないかと思います。

もっともっといろいろな動きの中のひとつとして軽井沢風越学園というのがあって、いろいろなものとつながりながらそれぞれが魅力的な動きになっていく。それはチームのメンバーであるとか、メンバーではないという意識ではなくて、出入りがすごく自由で、行ったり来たりをもっとしやすくしていきたいです。
そういう感じにするには組織作りやチーム作りとは別なことが必要になってきます。コミュニティ作りとも違うような。まだそれを言葉にする手がかりを得られていない感じなんですが・・。

大切なのは「あなたはどういう学校を作りたいの?」「あなたはどこに向かって歩きたいの?」ということなんです。
その歩く方向が僕とも他の人とも違っていいんです。他の誰かと一緒である必要はないと思います。スタート地点もバラバラで、目指す方向もバラバラだとすると、誰かとは交差するかもしれないけれど、もしかしたら同じ学校にいても全然交差しない人もいるかもしれない。

でも実は平面だと交差しませんが、もし球形だったら、ずーっと行ったところで交差するポイントがあるかもしれません。交差する点がなかったとしても、お互い、遠くから見えたりします。だから同じ方向を見て歩く必要はないんです。むしろ同じ地点に立って同じ方向見ていたら生きものなら全滅だと思うので、危険です。そういった意味もあって、みんな同じ光を目指して歩かない方がいい。

(インタビュー:寺中有希 2018.4 .25)

プロフィール

本城 慎之介(ほんじょう しんのすけ) 1972年、北海道生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。
大学院在学中の1997年に三木谷浩史と共に楽天株式会社を創業し、取締役副社長を務める。
2002年に退任後、株式会社音別を設立し、「教育」をテーマに活動を始める。
横浜市立東山田中学校長(2005年4月~2007年3月)や
学校法人東京女学館 理事(2007年~2014年)を歴任するなど、現場と経営の視点で教育に取り組んでいる。
2009年より軽井沢町で野外保育・信州型自然保育の運営と保育に携わる。
2016年6月から幼小中混在校「軽井沢風越学園」の設立に向けて活動を開始。
2016年12月に一般財団法人軽井沢風越学園設立準備財団を設立し、理事長に就任する。
高1、中3、中1、小5、小1の5児の父。2009年より軽井沢町在住。   軽井沢風越学園設立準備財団