インタビューvol.43 加藤大吾さん「場のちからから生まれるもの」



野外教育、環境教育分野で活動しながら、「だいご治療院」を開院した加藤大吾さん。日本初のプロジェクトアドベンチャーのワークショップ(1995年)の参加者でもあります。治療の道を歩き始めた加藤さんにとって、治療とファシリテーションとの共通点とは。

子育てがメイン

いまの僕のメインは子育てです。自己紹介では「主夫です」と答えます。主夫の合間に仕事しています。

主婦(夫)業というのはある意味、ひとつの職業だと思っています。それなのにお母さんたちの中には「子育てしていたら世の中に取り残されちゃった」というようなことを言う人がいますが、その気持ちは確かにわかります(笑)。子どもたちをちゃんと育てて、次の世代に受け継ぎたいです。

ーー何を受け継ぎたいのですか?

はじめは受け継ぎたいという感じではなかったのですが、子どもたちが社会の中で生きていけるようにちゃんと準備をしたいと思ったのがスタートです。

子どもってすごいなとも思うし、親がきちんと子どもと向き合うことは大事なことだと感じています。いまそこに力を注ぐのが僕の人生の一番やるべきことなのではないかと思います。

ーーいまの暮らしはどんな感じですか?

楽しいです。僕はラッキーなことに、野外教育や環境関係の事業を展開してきたので、暮らしの中で子どもに伝えたいことをたくさん持っていました。いままで仕事でやってきたことを、暮らしや家庭教育の中にものすごく盛り込めている感じです。

北海道でキャンプすると人間よりも強いヒグマがいます。お父ちゃんも勝てない(笑)。生態系の頂点に人がいないところで、テントで寝ると、自然のこともちゃんと認知でき、自分たちの弱さもわかります。

地球の大きさを感じる

ーー加藤さん自身も子どもの頃から冒険好きだったのですか?

中1のときに京都まで自転車で友達と2人で行きました。そのときに地球を意識して、人生が変わりました。

東京から京都はすごく距離あって、4日かかりました。何百キロも移動する経験をしたあと、天気予報で日本地図を見ると、自分が動いた距離がわかります。「もしも日本を上から下まで行くとしたら、この6倍か7倍くらい走ればいけるな」「ということは世界を1周するなら…これを100回くらい繰り返したら回れるかも!」というのが中学生のときの発見でした。

世界は無限だと感じていたところから、京都まで走ったことで、世界は意外とそんなに大きくない!と気づきました。それが僕の最初の転機でした。

見えない中を走っていく

ーーなぜ京都まで自転車旅を?

小学生のときに、中学校はガラスが割れたりする怖いところなんだと思っていました。確かにそういうこともありましたが、なんか物足りなかったんですね。中学生ってもっとお兄さんのイメージだったんです。

物足りないまま1学期が終わり、なんだかなという感じの夏休みを過ごしていました。そこで何かしようと思い、父に「一番遠くに住んでいる親戚って誰?」ときいたんです。

おじさんが京都にいることがわかり、「明日から京都に行く!」と決めてすぐに友達を電話で誘いまいした(笑)。なんなんでしょうね、大人になりたかったのかな(笑)、何かをしたかった。

ーー当時はスマホもないので、地図を見ながらですよね。

その感じがすごくいいと思うんです。だって正解なんてない!どこにいるのかわからないことなんて、社会にはいろいろあります。よくわからない中で仕事をしたり、社会の中で生きていくわけでしょう?

だから子どものときに全てがわかっている状況ではなくて、「よくわからないけれどそっちに行きたい」と思って行くという体験をしたのは大きかったです。だからいまも自分がどんな場所に立っているかよくわからなくても進めるんだと思います。

僕が大学で授業をしている中では「目標がないから動けない」という大学生が多い。目標なんてなくたって、行ってみたい方に行ってみたらいいと思うんです。「なんとなくこっちに行ってみたら…」という根拠のない自信みたいなものを持って欲しいですね。 

楽しそうな方へ

ーー加藤さんは目標がないまま進んでいるのですか?

目標の手前の段階で「あ!こっちの方に何かありそう!」という感じが先に来ます。目標を立てるのはそのあとです。こっちだな〜という方向を見ると、なんだかそこにある何かが楽しそうに見えるんです。それは魂というか、見えない何かですが、その魂みたいなものが喜んでいる感じがする方に行っちゃいます。

僕はある意味、近視眼的だと思います。でも「このスキルを身につけたらきっと何かいい世界があるんじゃないか」というような大きなイメージはありました。そんなふうに捉えてまずやってみると、目標はあとからついてきます。

やりたいことをやってみる

いま僕はイネイト活性療法の治療院を始めましたが、最初は「治療院をやりたい」と思わないで学び始めました。とても興味を持ったので、まずは身につけたいなと思ったんです。

ーーイネイト活性療法とは何ですか?

簡単に言うと、その人が本来持っている自然治癒力のスイッチを入れるものです。

ーースイッチは一回入れればよいのですか?

スイッチを入れたら、そのスイッチが入ることで治るものもありますが、治らないものもあります。そうしたら2回目 には、スイッチを入れても治らなかった部分を体にきいていき、もっと深いところのスイッチを入れていきます。

ーースイッチはひとつではないのですね。

1層目のスイッチを入れてよくなる部分もありますが、それでよくならないものには次の原因があります。その原因のスイッチを入れると、またよくなる。そしたらまた次の…となって表面から治っていく感じです。

僕は誰もが不安だったり、家族も巻き込んだりする“癌”の治療を目指しています。現代医療ではできない治療にいま何かあると思っています。まだ目標にはなっていないのですが、自分がやれることがあると思っています。

その人へのアクセス

ーーもともとイネイトをやろうと思ったきっかけは?

3年前に藤野に引っ越したのを機にいままでの仕事を80%-90%くらいやめて主夫になりました。そしてコロナがきて、数少ない仕事すらなくなって、時間ができました。そんなときに先輩がイネイト活性療法について教えてくれて、いまはこれを学ぶチャンスなんだろうとピンときました。

ーースキルを身につける前と後で、ものの見え方は変わりましたか?

一番大きく変わったのは、人間の体は巧妙で精密だということ。すごい仕組みなんだなということがよりわかりました。もうひとつは、科学でわかっている領域はそんなに多くないということ。まだ科学がわかっていない分野に、アクセスすることの可能性の大きさみたいなものを感じました。

ーーどんなところにアクセスしていくのですか?

人間の体はすごいです。人間の体は本来病いを治す機能が備わっていますが、その機能が止まったり、傷ついているから、うまく治せなかったりします。もともと持つ機能を止めないでいれば、自分の体の能力が発揮されて治ります。

その部分をお手伝いして、その人のあるがままの姿に戻したり、能力を発揮できる状態、自分の体を癒やすことができる状態に戻してあげることにアクセスする感じです。それは精神的にも、肉体的にもです。

ーーその人にアクセスするときに大事にしていることはどんなことですか?

固定概念に囚われないことです。その人のことを僕が決めつけると、相手からの反応を曲げて受け取ってしまいます。

例えば、「この人は、腰が痛いに違いない」と思って見ると、そのように受け取ってしまいます。逆に「この人の痛いところはどこかな」というところから入ったら、その人のそのままが反応として返ってきます。

全くわからない状態、無の状態でその人の反応を受け取る。自分という概念を消すということを意識しています。

ーー無の状態は難しくないですか?

難しいですね、いろいろ考えちゃいますし、雑念もあります。僕が無と言っているのは、つまり相手のことを全て受け入れて、「あ、そうなんだね」と言える状態にしておくという意味です。スペースをあけておくといってもいいかもしれません。無の状態であけておいて、好きなように表現してもらうというイメージです。

治療とファシリテーション

ーー治療とファシリテーションとの共通点はありますか?

結構ありますね。ファシリテーションしているとき、目の前で起きていることをそのまま受け入れられないことがあります。でも真実はむしろそこにあって、それをこちらが捻じ曲げようとした瞬間に、参加者とファシリテーターとのズレが生まれてうまくいかなくなります。それと近いですね。

ーーどうしたら決めつけないでいられますか。

ファシリテーションの視点から考えてみると、ファシリテーションはちょっと他人事にならないといけないんだと思っています。

誤解を恐れずに言うと、僕はあんまり参加者の話をきいていません。参加者の話をきくのではなくて、状況や場をみているんです。だから言葉のはしばしや言葉自体はあまりきいていなくて、場面として頭に浮かぶ感じです。治療での関わりもその感覚に近いです。それはその場を全て認めるというか、「そうだよね」と思っている感じです。

ーーその場をそのままにして、そのままそこに一緒にいる。

それを言葉にすると「尊重」です。

ーーそれはファシリテーションでも治療でも同じ感じですか?

そうですね。思っていることも、感じていることも、体での表現もみんな違います。そこを尊重したいと思っています。

だから常識というのは本来ないんです。体はひとつなので、あそこが痛い、こっちが痛いの原因はどこかというと、ひとつの体、ワンネスの体のどこかであって、別々のものではないんです。

ファシリテーションも全体性だと思うんです。そのワンネスを認められることが大切なんだと思います。ワンネスにはいろいろな言い方がありますが、僕にとっては、みんなつながっていること、同じ場にいること、みんなでつくり出している現象です。

ーーいま加藤さんの中の楽しさとか面白さはどこに向かっている感じがしますか?

いまの僕のわくわくは、治療の分野です。これでみんなが幸せになれる方向になるといいなと思っています。当然僕も幸せになる方向ですよ!(笑)

病気の恐怖を抱えていた人が、「この人生どう生きようかな!」と思えたり、より自分の命を大切にできる、そういう社会にしたいなと思います。

人が本来持っているちからはすごいなというリスペクトが大きいです。人間の体は本当にすごい!!治療することで、僕自身も良くなります。それは場のちからなんだと思います。

(インタビュー:寺中有希 2020. 12.09)

プロフィール:

加藤大吾(かとうだいご)

1973年生まれ。幼少から青年期を東京新宿で暮らす。
2001年NPO職員を退職して独立し、環境教育事業所「アースコンシャス」を設立。
事業の挫折などを経て東京に帰るが、東京の暮らしに疑問を感じ、やるべき事と居るべき場所を求めて家族で土地を探しはじめる。

2005年「愛・地球博 森の自然学校・里の自然学校」チーフなどを務めながら、山梨県都留市に山林を購入し友人たちと開拓

2006年「リードクライム株式会社」立ち上げに参画しながら、セルフビルドの国産丸太小屋に移住。環境教育者、企業研修講師、農家、大学非常勤講師など多彩な分野を持ちながら家族とともに40羽のニワトリと4頭の綿羊と農耕馬に囲まれ、田んぼや畑を耕作し、生態系の中で暮らす。

2010年「NPO法人都留環境フォーラム」設立、以降代表理事を務める。環境配慮した地域作りを開始。在来野菜のタネの保存活動、馬で田畑を耕す技術の伝承活動など多肢に渡る社会問題への活動を展開する。日本が先進国になる過程での学びや文化、自らの暮らしぶりを途上国に伝えることで平和と幸せ感に貢献することに力を注ぐ。

2020年「だいご治療院」開院 イネイト活性療法を用いて様々な症状を治療。
がんの集中治療コースを確立し、不安や恐怖から解放されて希望と喜びの人生へのシフトのお手伝いをすることを目標としている。

相模原市(旧藤野町)に住む、3人の子どもを持つシングルファザー。掃除、洗濯、料理、近所付き合いなどなど、日々の家事をしつつ、大学非常勤講師、企業研修講師を中心に仕事を展開している。

子どもたちと再開しているスポーツ:テレマークスキー、ロッククライミング、ロードバイク、ドルフィンスイミング、ラグビー
新たな挑戦:手芸、ミシン、染め物、
日々楽しんでいること:自宅のリノベーション(床、壁、換気扇、食器棚、靴棚、システムキッチン、ぶどう棚など)

人が今まで知らなかった真実に出合う。感情が動いて立ち尽くすような感動に出合う。そういう場に居合わせている時が至福のひとときなんです。皆さんと一緒にこの大変革の時代を幸せに生きていきたい。

著書
「地球に暮らそう ~生態系の中に生きるという選択肢~」旅と冒険社
「やりたいことやってみた ~仕事も社会も自分で創ろう~」里創社

「暮らそう。」ホームページ
だいご治療院ページ