インタビューvol.44 宮下千峰さん「自分のどまんなかで生きる社会をつくる」

ヒミツキチ森学園は2020年4月に開校したオルタナティブスクールです。デンマークに行ったことをきっかけに学園づくりが始まったという校長の宮下千峰さんにお話を伺いました。

コロナ禍での開校

ーー4月開校からオンライン、6月から対面になり、いまはいかがですか?

ひとことでいうと、手探りで模索して、進化しているのがすごく楽しい状態です!もともと完璧なものや出来上がったものに興味がないんです。

曖昧模糊としているものや、まだ伸びしろがあるものが好きなので、みんなで一緒に育てている過程が好きですね。未完成のまま走って、あーだこーだとふりかえりながら、一緒に育てている感じがすごくいいです。カオスにもなりますが、それすらも面白いです(笑)

ーー決まらないこともたくさんあるのでは?

そうですね!そういうのも楽しいです。いまふりかえると楽しいと思えるんですけど、渦中では大変だったこともありますが、学園では「共創」を掲げていて、親も子どもも一緒に創っています。

共創のはじまり

デンマークの人たちが共創しながら国をつくっていて、学校では子ども達も共創しているのを目の当たりにしたときに、とてもいいなと思いました。そこからですね、ヒミツキチは共創してつくろう!と言い始めたのは。

ーーいまは共に創るという部分はいかがですか?

まだできていないことのほうが多いですが、スピリットが根づいていることは確かで、それは自信を持って言えます。

学園は一般社団法人PLAYFULが母体ですが、それとは別に学園をつくっていくための「部活」と呼ばれるプロジェクトチームの人達がいっぱいいます。その中の舎づくり部が一緒に校舎探しやDIYをしてくれたり、カリキュラム部が教育内容をつくってくれました。

それぞれの部活にはほとんど口出しはしないようにしていて、お任せしています。ただ進め方だけは口酸っぱく「共創しながらつくっていきたい」と言ってきました。

私たちがお願いして受注発注をするのではなく「それがあなたの自分のどまんなかだと思うのであれば、そのどまんなかで関わって欲しい、それがあなたにとってのギフトになったらうれしいし、そんなどまんなかの人が集まって創った学校なんだと、子どもたちにも言いたいからみんなで創りたい、みんなで走りたい」と言ってきました。

私は代表をしていますが、ただの1票です。私は私がいいと思うものに1票を出しますが、みんなもそれぞれの1票を出して決めていきます。

具体的にしないままでいること

ーー曖昧模糊のままで進み続けるのですね。

学園には現在プロジェクトメンバーが330人いますが、「自分のどまんなかの定義は何?」「抽象的だからもっと定義して」「共創って具体的にどういうこと?」とたくさん突っ込まれてきました。具体的に、具体的にと言われ続けた2年間でした。でもあえてそれを定義づけないということを貫いてきました。

ーー具体的にしたくない

具体的にした方が仕組みとしてはちゃんと成り立ち、万人に同じ温度で同じ内容で伝わり、中にいる人達はもっと動きやすくもなります。そうすれば同じ方向を見ることができますが、大事であれば大事であるほど、あえてその抽象さを残したいんです。

私が「どまんなか」について「それはあり方の話なんだよ」とか、「それは心地よさ、わくわくすることだよ」と言ってしまうと、受け取り手はその言葉の中でしか正解を探さなくなります。「こういうどまんなかもあったよー」と言って欲しいので、具体的にするのはイヤだと言って、ひたすらみんなを困らせて走ってきました(笑)

ーー人数が多くなると、明確なものを必要とする人もいますよね。それがないと動けないという人も…。

この正解のない世界に突入している中で、「正解を求めないで!なんぼでも困れ、なんぼでもカオスになれ!そのたびに私は膝を突き合わせて、なんぼでも話すから!」と言っています。とても効率の悪いやり方ですが、枠に入れることはイヤなんです。そこには強いこだわりがあります。

ギフトがつながる世界

ーーなぜ学校をつくろうと思ったのですか?

究極のところ、学校をつくりたくてやっているのではないです。デンマークで教育のフィールドに刺激を受けました。人が人として生きる国、そこに流れている血にすごく感動したので、いまの私たちの最終目標、ビジョンにしている、「自分のどまんなかで生きられる愛とギフトの世界」を見たくてやっているんです。

自分のどまんなかで生きたい人が、自分のどまんなかで生きられる。自分のどまんなかにその人がいることで、誰かのギフトになっていくことを感じています。

いまは資本主義経済の中で回っていますが、自分のどまんなかでこういう風に学校に関わりたいという人がいたら、そのギフトをもらった私はそれを何倍にもして返したいと思うんです。その人が困っていたり、したいことがあったら、「ちょっとみんな!この人困っているから集まってー」という形で自分の持っているリソースをギフトしたいです。

最終的にはお金だけではない、自分のどまんなかに持っているリソースでできることをして、そのギフトで社会が回っていったら面白いなと思っています。それは愛なんだと思います。

お山のてっぺんに立てた旗までどうやって登っていこうかを考えたときに、教育の登山道がいいなと思いました。でも道のりがとても長そうなので、まずベースキャンプをつくろうと思って建てたのがこの学園です。

自分のどまんなか

ーーどまんなかという言葉はプロジェクトから生まれたのですか?

いえ、デンマークからの帰りの飛行機の中で出てきた言葉です。学校をつくると決めたけど、そもそも学校ってどうつくるんだろう?という怖さや不安がありました。

一方で躍動している感じもあって、自分の内側が震えていることだけはわかりました。それが私のどまんなかだなと思いました。私のどまんなかがすごく震えていて怖いけど、自分のどまんなかはこっちだと確かに言っているから、どまんなかで生きようと思いました。

ーープロジェクトで話し合って決めたのかと思っていました。

「自分のどまんなかで生きる」というコンセプトだけが決まっていて、あとはみんなでやりましょ!と始まりました。何かが響いたのなら仲間になって、船に乗って!と。行き先だけは決まっていて、中身はないけど島に降りて採取しながら進んでいます。

ーーどまんなかという言葉と共にここまできて、どまんなかに出会う前から一番変わったことは何ですか?

最終的に全部が面白いこととして回収できるということに気づいたこと!大変なことが起きても「きっとこれ、映画化で全部回収できる!」みたいな(笑)。だから私の人生全部が遊びだということに気づいちゃいました。しんどいことがあっても、この自分を使った人体実験は絶対あとに生きる!人にしゃべるネタゲット!と思っています(笑)

手伝って!

私は前職では、手伝ってと言えない人でした。ずっとひとりで残業したり教材をつくっていました。みんなでやろうって言えばよかったのに言えなかった。自分でやった方が速いし、クオリティもいいと変に尖っていて、「助けて=負け、自分の仕事をさばけない人」だと思っていました。

でも学校をつくろうとなったときに、これはたくさんの人に関わってもらってみんなで進みたいプロジェクトだと思いました。いろいろな人に入ってもらったら、ひとりでやるよりも回らないけど格段に楽しいというのが新鮮でした(笑)。「手伝って」と勇気を出して言ってみたら、人と人との化学反応で自分が思ってもみないものが生まれるのをみて、これめっちゃいいじゃん!と思いました。そこからは、手伝って!と声をかけられるようになりましたね。

ーーみんなと創っていて、自分はこうしたかったんだけど…というのはないですか?

それはありますがイヤではない。でも葛藤はめちゃめちゃしています。オランダのイエナプランの先生が、「good teacher = lazyだよ」と言われて。lazyに込められた意味がずっと私の中にあります。

信じて見守る

ーー宮下さんにとってlazyとは?

信じて見守るです。その人の持っているものとこれから花開くものを信じて委ねてみる。まず一度、自分のバトンを持って走ってみたらいいとと思っています。。

「私はlazyでいられているかな」ということをいつも考えています。言いたいときも、実際に言うこともありますが、「私は宮下学園をつくりたいわけじゃない。自分の思い通りにするピラミッドの世界をつくってしまったらおかしくないか?」と自問自答することもあります。でもなんでもいいですよと言うのが共創ではないので、伝えながら、ときに喧嘩しながらやっています。

いまとこれから

いまは大海原で好きなように泳がせてもらっています。大海原でどっちに行くかわからないのが好きですね。行ったことがない、言語も知らない国にバックパックひとつで飛び込んだときの感覚。わあ!!怖い!殺されるかもしれない!でもどんな人がいるんだろう、どんなことが起こるんだろうとざわざわする感覚が好きです。

ーーいまはざわざわする感じで過ごしていますか?

いまはもっとざわざわしたくて少し物足りない感じもありますね(笑)。予測できる今日が好きじゃないんです。いまは学園がスタートして、毎日、大体こんなことが起きるという予測が立ちます。それはあんまり面白くないので、明日は誰に会うだろう、何をするんだろうという予測の立たなさを渇望していますね。

でもイベントや講演の準備なんかは完璧にしたいし、椅子の配置やスライドの見え方まで細かくチェックします(笑)

私の中に、相反するものがあるんです。学園については完璧を求めたくない反面で、自分に対しては割とそういう傾向があります。自分に対してはストイックさが残っていますね。

どちらもあって、自分でもわからないし、でもわからなさが存在しているということをいいぞいいぞと思っていて…。分からなくならなくなったらつまんなくなっちゃうなって(笑)

もうすぐヒミツキチ森学園も開校して一年。次なるざわざわした野望は、ヒミツキチ村。ヒミツキチ森学園をハブとしたリアリティ仮想空間なんですが、この村の中で色んなヒト・コト・モノが循環していく構想を練っています。もうすぐリリース出来るので、今はざわざわとまた大海原に泳ぎ始めていく感覚です(笑)

(インタビュー:寺中有希 2020. 12. 15.)

プロフィール:

宮下 千峰(みやした ちほ)

ヒミツキチ森学園 校長

一般社団法人PLAYFUL 代表理事

原点は子どもの頃の秘密基地。デンマークとオランダで感じてきた「生きる力」を学ぶ教育のミライを体現すべく、300人のプロジェクトメンバーと共に2020年神奈川県葉山にオルタナティブスクールのヒミツキチ森学園を開校。現在は学校運営と共に、体感しながらイエナプランを学ぶプログラムの主催や、学校や場づくりをしたい人向けのコンサルを行っている。

自分のどまんなかで生きるというコンセプトのもと、自分自身も自分のどまんなかで生きる人生を人体実験中。