COOチャッキー(茶木知孝)。前編では経営リテラシーを根づかせることについての話でしたが、後編ではチャッキーにとってのフルバリューとこれからについて聞きました。(前編はこちら


フルバリュー:最大限に尊重し合うこと

僕が一番フルバリューを体験したのは、大学2年生のとき、UCLAの寮に住んでいた日本人のルームメイトとの関わりです。1ヵ月半寝食を共にしたんですけど、彼のスローな感じやいろいろなものが気に入らなかったんです。

もうこれ以上、絶対一緒にやっていけないと思う中で、どこかの瞬間で彼に助けられて、この人がいたからもしかしたら僕のこの留学は意味があるのではと思えました。彼を許せるようになったというか、彼の全ての存在そのものが受け入れられるようになったという瞬間がありました。

僕のその原体験がすごくフルバリューという考え方と結びつくんです。それは「すごく許せない」という瞬間があって、「こいつを大嫌いだし、顔も見たくなければ暮らしていくなんてありえない」と思ったときがあったからこそ、逆に許せるようになったときもすごく受け入れられたんです。その感覚が僕にとっては超フルバリューでした。

なぜ許せたかというと、何かのときに彼のひと言が僕を救った気がするんです。その人がいることによって自分がどれだけ安心だったかということに気づいたんです。彼がいたから精神的に心強かったということがあったんだと思います。

アウトワード・バウンドのプログラムに参加したときにも同じような体験がありました。灼熱の中、100メートル歩いて2時間かかるような藪をかき分けてずっと歩いていました。

最初の3時間位でもう水がないから水を分けてくれと言い始める人がいたんです。みんな自分の水をすっごく大切にしてきているのにも関わらずです!「ふざけんなよ、自業自得だろう」と思いました。30分、1時間と話し合いをしました。本当はそんなことに時間を使っている場合ではないし、みんなも僕もカチンと来ていたけれど、でもしょうがないんです。同じ船に乗っているんです。

何キロも先までも行かなければいけない、誰のせいにもできないという中で、ひと通り皆が思っている不満をぶつけたら、不思議なんですが、気が済むと解決方向に向くんです。この人を責めていても何もならないと。

彼の力も頼りにしないとチームとして成り立たない状況でした。確かに水は飲んでしまったけれども、でもやれることはある。逆に僕にも足りないことがあったはずだし、できなかったこともあるはずです。

そうやってお互いにその存在を認めながら行かないと達成できない課題があると認めざるを得なくなります。「こいつのことは嫌い」と言っている場合ではないんです。そういう環境の中で受け入れていくというのは僕には鮮烈でした。

 そういう体験があって、そもそもそんなに本当に許せないと思わないようになりました。いろいろな人がいるし、合わないこともあるけれど、そういう人も含めてグループなんだということが、40数年間の人生の中で、少しばかりは学んだんだと思います。

だから今もPAJにいる中で許せないと思うことはそんなにないです。意見が違うことがあったとしても、それはそれでそういう人はいるもんだと思います。苛立つことはあるけど、本当に許せないとか、受け入れられないということはほぼないです。

他人は変えられない

PAではフルバリュー(お互いを最大限に尊重する)というけれど、「フル(最大限)」と言うとすごく苦しむこともあります。

でも結局、その人の人生はその人が決めていくんですよね。自分とは合わない人はいるけれど、究極的な僕の理解は、それぞれの人は自分の責任で自分の人生を歩んでいくから、それがいいのではないかということです。究極的には、ですけど・・。

他人を変えられないというのは、会社でも究極的にはそうなのではないかと思います。だから経営者から見ると、従業員自身が自ら変わるという機会はつくるかもしれないけれど、変えられるかというと、きっと変えられない。「こういう方向で行こうね」と言うことはできるけど、本当にそこに乗っかってくれるかはわからないし、強制もできないんです。

僕自身はここ数年でもだいぶ変わってきたなと思っているんです。自分の子どもに対しても子どもはこうなって欲しいという親の願いは以前はもっと強かった。そこは子どもに限らず、「その人の人生だな」と思うようになり、ここ数年間でもだいぶ変わったなと思います。

それは自分自身の命みたいなものを見つめたいと思うようになったからかなと思います。自分を知りたいとか、自分自身が生きているということがどういうことなのかと考えたり、頭ではなくて素にそれを感じたりしています。この数年、断食に行っているのもその流れのひとつです。

そういう意味ではこの2−3年で子どもへの接し方も変わったと思いますし、あとは都合の悪いことを受け入れることも僕の中では変わったことのひとつだなと思っています。それは「受け入れる」というよりも、「そういうもんなんだ」と思う感じです。難しいんですけどね。ある意味いろいろなものに鈍感になっているとも言えるし、一方で敏感になっているとも言えて、この2つが面白いなと思います。

いつでも転換点

チームリーダーの2人が各チームのマネジメントをしてくれるようになって、時間的にもリソース的にも僕自身が変わるかもしれないので、そういった意味ではこれからが大きな転換点かもしれません。ただ、いつも転換点なんです。常に変化している気がする。

だからさっきも言ったように、運営自体はもっと分散していきたいし、その中でもっと人も増やしていって、いろんなチームがいろいろなバリューを出していけるようにしてきたい。今は2チームしかなくて、社会に価値を提供していくには圧倒的に不足しているなと思っています。

これから何チーム増えるのかは、世の中のこういった教育に対するニーズがどのくらいかとか、これをやりたいという人がどれくらいいるかというかで決まってきます。

でもこういうことやりたいという母集団は、徐々に形成されてきていると思うんです。潜在的にはこういった仕事が楽しそうだなと思っている人は増えていっているし、それは我々がつくっていっていると思います。

現在は単に知識として文字情報を仕入れるのではない教育の価値がどんどん見直されてきていて、それを時代も求めていると思います。そうなると僕たち自身も枠を広げていくというか、一回ぶち壊していって、今ある「PA」という認知から脱していかないといけなくなるかもしれません。

PAというものがもっと大きな概念を持っていくといいなと思います。僕たち自身も変わり続けるということが大切になってくるのではないでしょうか。

新しい人も増えてきました。価値をつくっていくのはみんなで、伝えていきたい価値を伝えてていくのもみんなです。価値をつくっていくのは決してマネジメントではないんです。みんなが安心して、思い切って価値をつくっていけるような環境整備をしていきたいと思っています。


(20180604)

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